東京高等裁判所 昭和25年(ネ)1177号 判決
昭和二十四年六月十七日訴外丹荘村農地委員会が埼玉県児玉郡丹荘村大字元阿保三百十八番地田一反二畝十六歩について定めた買収計画に対し控訴人の申し立てた訴願について昭和二十四年十二月二日附で被控訴人のなした訴願棄却の裁決はこれを取り消す。
訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。
二、事 実
控訴代理人は、主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は、控訴代理人において、「控訴人は本件田を買収せられることを毫末も免れんとするものではない。昭和二十四年四月丹荘村農地委員会は、右申出を採用せず、殊更に控訴人を村住民に非ずとして買収計画を樹て、被控訴人また同意見の下に裁決したのである。しかし何故控訴人を住民に非ずとして買収せんとするか。控訴人が本件買収を争う所以のものは本件田の買収を免れんがためではなく、任意解放まで決意せる控訴人の住所を一時的現象による皮相なる観察によりこれを無視せんとする圧力と争い、これを明確にせんがためである。若し斯る裁決により控訴人の住所を無視せられるにおいては控訴人の政治的、経済的関係に及ぼす影響が極めて重大であるからである。」と述べ、被控訴代理人において、「本件の不在地主として確定した時期は買収計画樹立の時であつて昭和二十四年六月十七日である。なお控訴人が昭和二十四年中埼玉県児玉郡丹荘村において選挙権を有していたことは認める。」と述べた外は、すべて原判決の事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。(証拠省略)
三、理 由
控訴人が埼玉県児玉郡丹荘村大字元阿保三百十八番地田一反二畝十六歩を所有していたこと、右農地について同村農地委員会が昭昭二十四年六月十七日自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)により買収計画を樹て四月十八日その旨公告し、同月二十八日まで関係書類を縦覧に供したこと、控訴人が右買収計画に対し同月三十日右丹荘村農地委員会に異議を申し立てたが同年七月九日却下せられ、更に同月十八日被控訴人に訴願したが同年十二月二日附で被控訴人においてこれを棄却し、その裁決書が同月十八日控訴人に送達されたことは当事者間に争いがない。
よつて控訴人の住所が本件農地の所在地丹荘村にあつたか否かについて審究する。
当裁判所が真正に成立したものと認める甲第一号証の一乃至四、成立に争いのない同第二ないし第十八号証、同第十九号証の一、二、同第二十二乃至第二十七号証、原審証人相原亀太郎、木村類蔵、新井武雄、坂本久実、杉村富久子、当審における控訴本人杉村沖治郎の各供述を合せ考えれば、控訴人は、本件農地の所在する丹荘村出身にして東京都四谷区左門町二十番地に居住し弁護士業務に従事していたが、昭和二十年四月二十五日罹災全焼したので、妻子は妻の老母の世話、子女の学校関係等から同都杉並区上荻窪二丁目の妻の実家長沢チヨ方に寄寓させ控訴人自身は郷里に於て農業に従事するため昭和二十年六月同村に転入し、同村元阿保の訴外関根千代の蚕室を賃借し、主食等の配給を受け同所に寝泊りして自己所有の畑二、三反歩によつて自ら農作物の蒔付けその取り込み、脱穀をする等農業に従事していたが右関根方から同人の都合により蚕室の明渡を求められたので昭和二十四年一月より親戚に当る同村元阿保の新井武雄方に転居したが同家が手狹で農業経営に不便なためと当時控訴人は最高裁判所準備委員会委員、司法行政監察委員等を命ぜられ、東京に上京する機会も多くなりその他埼玉県下の第三選挙区において控訴人は社会運動をなすに至つたため同村外に外泊することが頻繁となり、ために畑の耕作に専念することができなくなつたのでその後は畑も比較的手数のかからない桑畑に切り替え、耕作等に人手を要する時は知人に依頼し、自分としては時折その指図をする程度にて今日に及んだこと、控訴人は同村に転住以来農家として麦、甘藷、馬鈴薯等の供出につとめ、昭和二十四年度も完納していること、主食の配給は昭和二十四年二、三月頃まで受けていたが、その後は控訴人が百姓をしているということで停止されていること、控訴人は同村に転住以来昭和二十四年以後も村内の住民として冠婚葬祭の近所附合をなし、同村農業協同組合その他の組合に加入し、地方税、国民健康保険料、農業協同組合賦課金、農業共済組合掛金等も昭和二十四年度分を納入し、同年十月には同村々長より翌二十五年度産麦類農業計画の指示を受け、昭和二十四年度の所得税も同村における控訴人に賦課され、なお控訴人は昭和二十四年度作成の同村衆議院議員選挙人名簿に登載されて居り、同村において選挙権を有していることが認められ、右認定に反する原審証人岸二郎の供述はたやすく信用し難く、その他には右認定を左右し得るほどの証拠はない。
而して、人の住所は民法第二十一条所定の人の生活の本拠であり、その生活の本拠とはその人の一般の生活関係においてその中心をなす場所であつてその住所が成立するがためには単にその本人がその場所を生活関係の中心即ち住所としようとする意思がある外その意思の実現と見られる客観的事実が伴わねばならぬことはいうまでもない。自創法における住所とても右民法上の住所の概念と別異のものであると解すべき何等法律上の根拠は存しない。
而して前後認定の事実によつて見れば、控訴人が本件丹荘村元阿保を住所とする意思は十分具現せられているものと見るのが相当であるから本件買収計画を樹立された昭和二十四年六月十七日当時としては同所を以て控訴人の住所と認むべきである。この点に関し被控訴人は「控訴人は戦災後も上荻窪の前記場所に妻子と共に生活し、ここに事務所を設けて東京弁護士会員として弁護士事務に従事しているので同所が同人の住所である昭和二十四年一月以降は主食の配給を新井武雄に代つて受領して貰い、控訴人は月一、二回これを受け取りにくるだけで、右新井方には控訴人の表札だけは出ているが、その住所と判断されるような事実は見当らない」と主張し、原審証人岸二郎も同証人が会長当時の同村農地委員会が控訴人を不在地主と認めた理由は昭和二十年秋控訴人は同証人に東京都杉並区上荻窪と印刷してある名刺を呉れ、住所は此所だから東京に出て来たら寄つて呉れと申したのでその後十一月三日頃社会党大会に上京したとき控訴人の妻の実家だという家に一泊したので控訴人の住所は当時東京にあるものと認定した旨供述している。しかし控訴人は同村に転入以来昭和二十四年当時もなお同村を自己の住所とする意思を有し、妻子の寄寓する上荻窪の長沢方には控訴人が東京弁護士会に所属しているため、弁護士法によつて所属弁護士会の地域内に事務所を設置しなければならぬ関係上同所を事務所に定めているに過ぎず、同所においては殆んど弁護士事務を執つていない始末であることは当審における控訴人の供述により認められるし、仮令同所で若干弁護士事務に従事しているとしても人の生活の本拠と、生活の資を得る営業所とは両立を許されない関係のものではないから、右上荻窪に弁護士事務所のあることは控訴人住所が丹荘村にあることの認定をなす妨げとはならない。また控訴人が昭和二十四年一月関根方から新井方に転居した以後は新井方に宿泊する日数が激減したことは事実ならんも、そは前認定の如き農業経営上の支障からと種々な委員を命ぜられ上京の用件が多くなつたこと、控訴人が当時本庄町において法律、経済、税務研究会を主宰し、日曜毎に同所に赴かねばならず又従来の控訴人の選挙区である熊谷市、児玉郡、大里郡、秩父市等において社会運動に従事し、このように東奔西走する外出先で宿泊することが多くなつたためで妻子の許にすら一週間に二回位しか立ち寄らない生活状況であつたことは前出証人相原亀太郎、杉村富久子控訴本人の各供述により認められ右認定を左右するに足る証拠はない。
右の如く一箇所において席の温まる生活を営むことの出来ない境遇に置かれている控訴人の住所を認定するにはその滞在日数の多少によつて決する訳には行かないものと謂うべく、公的私的の全生活関係を綜合してこれを決すべきであるから、右岸証人供述の如く同村農地委員会が控訴人の生活関係の一端をとらえて同人の住所が丹荘村になく前記上荻窪にありと認めたのはいささか早計であり、乙第一第二号証によれば控訴人の本籍は右上荻窪二丁目十二番地にあり、控訴人は丹荘村に寄留籍のないことが認められるが本籍と住所とは必ずしも同一場所であるとは限らないし、寄留籍のあることは住所成立の要件ではないから、同号各証は控訴人の住所が丹荘村に存する旨の前認定をくつがえして被控訴人の主張を肯認せしめるに足る資料とはなし難い。従つて被控訴人の前記主張は到底採用できない。
以上により控訴人の生活の本拠が丹荘村にあり、同村に住所あることが明らかであるから控訴人がその所有の本件農地の買収を免れるためには、同村内において農業に従事していることを必要としないのは勿論、本件農地につき小作関係ある以外に該農地と実質上深き結びつきのある生活を営んでいることは何等自創法の要求せざるところであるから、同村農地委員会が本件農地につき昭和二十四年六月十七日控訴人を不在地主として樹立した本件買収計画は違法であり、従つてこれに対する控訴人の訴願を棄却した被控訴人の裁決もまた違法であることが明らかであるから、これが取消を求める本訴請求は正当であり、これを認容すべきである。
従つて控訴人の右請求を排斥した原判決は不当であり、本件控訴はその理由があるから民事訴訟法第三百八十六条第九十六条第八十九条を適用し主文の通り判決する。
(裁判官 大江保直 梅原松次郎 奥野利一)